「心光摂取」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しんこうせっしゅ/心光摂取
阿弥陀仏の内証によって得られた心光が念仏の行者を照らして摂取すること。『観経』には「一一の光明、徧く十方の世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)とあり、善導は『観念法門』に「彼の仏の心光、常に是の人を照らして摂護して捨てたまわず、総じて余の雑業の行者を照摂するをば論ぜず、此れ亦是れ現生護念増上縁なり」(浄全四・二二八下/正蔵四七・二五中)と述べる。義山は『観経随聞講録』において「念仏の行者は名義具足の故に別して心光を以て摂取護念し給う」(浄全一四・六一八上)といい、念仏の行者は名義具足するために心光によって摂取され護念を蒙るとしている。西山派の行観は『定善義秘鈔』において光明を常光・心光の二つに分けて、遍照の光明は常光で信不信を問わずすべてを照らし、摂取の光明は心光で念仏者のみを照護するという。親鸞は『教行信証』において現生十種益の第六に心光常護の益をあげ、他力信心の人は仏心にかなうために心光の保護を蒙るという。
【資料】道光『新扶選択報恩集』八、良心『選択決疑鈔見聞』七
【参照項目】➡心光・色光
【執筆者:永田真隆】