「諸行生因」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しょぎょうしょういん/諸行生因
念仏以外の諸行が、極楽浄土に往生するための直接かつ正当な行業であるとすること。浄土宗義上の論題の一つである。法然は、『選択集』一一において、「念仏する者は、命を捨てて已後決定して極楽世界に往生す。余行は不定なり」(聖典三・一六四/昭法全三三八)と論じているが、法然滅後、門弟間で解釈が分かれた。長西は、法蔵菩薩の第二十願を諸行往生願と解釈し、第十八願の念仏往生願とともに往生のための生因の願として、諸行本願義を立てた。対して良忠は『東宗要』において、生因の願は十八願のみであって、二十願は係念定生の願であり、遠生果遂の願であって、諸行生因の願ではないことを明かし、諸行本願義を非難している。さらに、『決疑鈔』では衆生を断証の機・諸行の機・念仏の機という三に分類し、そのうち諸行の機は摂機の願に乗じて往生すると論じている。証空は諸行不生の義を立てるが、ひとたび念仏に帰依したならば、諸行であっても往生の業になると述べている。親鸞は『教行信証』において、第十八願(他力念仏)を真実弘願、第十九願(定散諸行)を方便要門、第二十願(自力念仏)を方便真門とし、浄土を真実報土と方便化土の二つに分け、他力念仏の者は真実報土に、諸行や自力念仏の者は方便化土に往生すると解釈している。
【参照項目】➡諸行本願義一
【執筆者:大嶋憲彰】