「休岸」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:22時点における最新版
きゅうがん/休岸
一
—慶長三年(一五九八)一一月二九日。三蓮社縁誉。清浄華院三三世、金戒光明寺二四世。『総系譜』『浄源脈譜』には潮誉とある。出身は、石見国の浜田。各所を巡り仏法を広め、石見国邇摩郡銀山(石見銀山)に西向寺を開いた。後に清浄華院三三世となる。文禄四年(一五九五)には、金戒光明寺二四世に任命された。晩年、石見に帰り西向寺で寂した。
【資料】『清浄華院誌要』『黒谷誌要』(共に浄全二〇)
【執筆者:今井英之】
二
天文一六年(一五四七)—元和五年(一六一九)。玉蓮社遵誉。江戸三田(東京都港区)林泉寺の開山。摂津国大坂に生まれ、俗姓を板倉といい、剃髪の師などは不明だが、当時、浄土宗学の権威と称された鎌倉光明寺三二世の随流に師事。その後、慶長一六年(一六一一)に林泉寺を開創し、九年間住職を務め、世寿七三歳にて遷化。
【資料】『総系譜』中(浄全一九)、『蓮門精舎旧詞』一九(続浄一八)
【執筆者:井野周隆】