「本門仏立宗」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|
(相違点なし)
|
2018年3月30日 (金) 06:33時点における最新版
ほんもんぶつりゅうしゅう/本門仏立宗
長松日扇(一八一七—一八九〇)が創設した在家仏教教団。本山は京都市上京区の宥清寺。長松は家の宗旨の浄土宗を皮切りに諸宗派を遍歴した後、弘化二年(一八四五)日蓮宗八品派(本門法華宗)に入信。そこで教義と現世利益を学び三一歳で出家。安政二年(一八五五)還俗し、京都に在家主義の華洛本門仏立講を開講。現世利益を強調した布教で教線を大津と大坂に延ばすが、他宗に対する折伏で政治的圧迫を受け投獄される。聴取した京都府知事の命により明治元年(一八六八)再出家、宥清寺を拠点に布教を行う。その際、講の性格が在家主義から僧侶と信徒の「教講(僧俗)一体」に変容。同一〇年独自本尊や法要、諸規則(口唱専一、読誦無用など)を設け、宗教法人令施行後の昭和二二年(一九四七)に独立し本門仏立宗と改称。長松の死後、同宗は日蓮主義仏立講、在家日蓮宗浄風会、大日本獅子吼教会など多くの在家主義の分派を生む。信者数は公称約四八万人(平成二〇年〔二〇〇八〕現在)。
【参考】村上重良『仏立開導 長松日扇』(講談社、一九七六)、佐々木宏幹編『現代のこころ 本門仏立宗』(旺文社、一九八七)
【執筆者:武井順介】