「野沢俊冏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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のざわしゅんげい/野沢俊冏
嘉永五年(一八五二)一一月八日—昭和八年(一九三三)二月二日。大蓮社方誉広阿。字は仏華厳、または無量山人、六華道人。越中国西礪波郡林村(富山県砺波市林)に野沢五右衛門の長男として生まれる。明治二年(一八六九)に小石川伝通院で修学し、同一二年に下谷泰寿院、同二〇年に小石川浄台院住職などを歴任した後、大正二年(一九一三)に伝通院七〇世に就任した。宗祖七〇〇年遠忌の際には『浄土宗全書』全二四巻(浄土宗宗典刊行会)の出版を企画し、増上寺における唱導師も務めた。大正大学や巣鴨家政女学校、浄土宗大学図書館、伝通院会館の設立などにも尽力した。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:齋藤知明】