「印光」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版
いんこう/印光
清・咸豊一一年(一八六一)一二月—中華民国二九年(一九四〇)一一月。陝西省の趙氏の生まれ。名前は丹桂、字は昭伊、子任と号した。法名を聖量、常慙愧僧と号した。中国浄土教の一三祖。初め儒学を学び、仏法を批判したが、その後、『龍舒浄土文』を読んで、念仏法門が生死輪廻を出離する最も重要な法門であると悟り、浄土教の専修を始めたという。光緒七年(一八八一)終南山南五台の蓮華洞寺で道純のもとで出家し、同八年、陝西興安の双渓寺で印海定公のもと具足戒を受けた。印光の浄土思想は「儒教に説かれている人間の本分に尽くし、邪を修正し誠を目指すこと、仏教の諸悪莫作の理念を実修すること、さらに生死輪廻を断じるため菩提心を持ちながら、深い信・願をもって、阿弥陀経の名号を称すこと」とまとめることができる。また善書を配布し、中国全土はもとより、東南アジア華僑の地域にも布教につとめた。なお、彼の文書と遺文は『印光法師文鈔』四巻、『印光法師文鈔続編』二巻、『印光法師文鈔三編』に収録されている。
【参考】震華『中国仏教人名大辞典』(上海辞書出版社、一九九九)、張雪松『対印光法師及其近代中国浄土宗重構的批判性研究』(香港中文大学博士論文、二〇〇八)
【執筆者:肖越】