「心行寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しんぎょうじ/心行寺
一
東京都江東区深川。双修山養源院。東京教区№二二九。元和二年(一六一六)八丁堀寺町(東京都中央区八丁堀)に創建。開山は存応の弟子屋道。寛永一〇年(一六三三)類火に遭い現在地に移った。松平長門守重直女で伊予国西条藩藩主一柳監物直興室の養源院殿を開基とする。養源院殿・画家松本交山、五世鶴屋南北らの墓がある。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『江戸府内寺社書上』(『江戸浄土宗寺院寺誌史料集成』)、『寛政重修諸家譜』一、一〇(続群書類従完成会)
【執筆者:福田行慈】
二
横浜市都筑区荏田東。渋沢山龍泉院。神奈川教区№三八。開創について詳細は不明だが、開山は相誉知公とされ、位牌の裏に「慶長十九年五月六日寂」とあることから、文禄から慶長年間(一五九二—一六一五)にかけての開創と考えられる。江戸後期には増上寺末の触頭寺院であった。
【資料】『新篇武蔵風土記稿』八七
【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)、『平成版浄土宗神奈川教区寺院誌』(神奈川教区教務所、二〇〇九)
【執筆者:沼倉雄人】