「三尊礼」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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さんぞんらい/三尊礼
弥陀の三尊を讃歎し、礼拝する文。善導『往生礼讃』「日中礼讃」の弥陀・観音・勢至の礼讃文をいう。西方極楽世界に往生することを願って唱えられる六時礼讃の中で、日中以外のときにも多用される。その意は、次のようなものである。「阿弥陀仏の身は金山の様に輝き大きい。その身から発する光は十方の世界を照らし、ただ念仏申すものだけがその光摂を蒙ることができる。六方の諸仏は舌をのばして、専ら名号を称えれば必ず西方に至ると証誠している。彼処に至れば、華開き妙法を聞き、菩薩の願行が自然に明らかとなる。観音菩薩の大慈悲は、既に得た菩提を捨ててあえて悟らず。一切の五道を身中に納め、六時に観察して三業をもって応ず。応現するその身光は紫金色、相好や威儀は益々極まりがない。恒に百億の光王の手をのばし、普く有縁を摂し本国に帰られる。勢至菩薩は思議し難し。威光普く無辺の際を照らす。有縁の衆生がその光触を蒙り、智慧を増長し三界を越えることができる。法界は傾き揺れること、たおれる蓬のごとし。化仏雲の如く集まりて虚空に満つ。普く有縁を勧めて、恒に永く胞胎を絶ちて六通を証せしむ。憶念す」。また伊庭孝『日本音楽概論』(厚生閣書店、一九二八、六六一頁)には、日中礼讃の三尊礼はあらゆる仏教声楽中で、音楽の要素を最も多く具備したものであると説いている。昭和五年(一九三〇)には藤木学道、津田徳成、奥本超倫、田丸嶺春、千葉隆康が三尊礼を吹き込んだ(パルロフォンレコード)。
【執筆者:大澤亮我】