「赤築地」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:17時点における最新版
あかつじ/赤築地
現在の京都市東山区清水二丁目付近にあった地名。赤辻とも。読み方は『翼賛』四九などによれば「アカツヂ」だが、「あかついぢ」の異称もある(『拾遺都名所図会』)。文永年間(一二六四—一二七五)にこの地で、源智の弟子である信慧と良忠とが四八日間の談義を行い、両流の教義を照らし合わせたところ相違しなかったので、信慧は鎮西流と合流することにしたという(『四十八巻伝』四六、『九巻伝』三下)。ただ良忠が鎌倉から京都に上ったのは建治二年(一二七六)であり、事の真偽のほどははっきりしないが、鎮西流と紫野門徒との親近性をうかがわせる話である。なお『建撕記』坤巻には、曹洞宗の開祖である道元が建長五年(一二五三)八月、この地で荼毘に付されたことが記されている(仏全一一五・五五七下)。
【執筆者:善裕昭】