「九条道家」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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くじょうみちいえ/九条道家
建久四年(一一九三)—建長四年(一二五二)二月二一日。鎌倉時代前半の貴族。父は良経。祖父は兼実。母は一条能保の女で、源頼朝の姪。道家は一三歳で一条能保の女婿西園寺公経の女綸子を娶ったが、父である良経の急死により、九条家再興を目指した。順調に出世を遂げ、三男の頼経は鎌倉四代将軍となった。承久三年(一二二一)自身は仲恭天皇の摂政に就任するも、承久の乱での廃位で、近衛家実にその地位を譲る。安貞二年(一二二八)再起を図り関白に就任するも、病気のため引退。その後、剃髪し戒名を行慧とした。また、東山法性寺内に円爾弁円を開山として東福寺を建立した。晩年は失脚し身の不幸を嘆きながら、東福寺内の光明峯寺で没した。
【参考】市川浩史『吾妻鏡の思想史』(吉川弘文館、二〇〇二)
【執筆者:東海林良昌】