「一行一筆阿弥陀経・般若心経」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年9月17日 (月) 00:25時点における最新版
いちぎょういっぴつあみだきょう・はんにゃしんぎょう/一行一筆阿弥陀経・般若心経
大阪・一心寺(浄土宗)に伝来する平安時代後期から鎌倉時代にかけて筆写された結縁経(通称「一心寺結縁経」)。前半に阿弥陀経、後半に般若心経を総勢一三九名の僧侶が各行ごとに筆写し、行末に筆者の記名が付された特殊な分写経。南都東大寺、光明山寺、高野山、京都比叡山、西山善峰寺ゆかりの僧侶の名が確認され、中でも東大寺大勧進俊乗房重源、高野山蓮華谷明遍、天台座主真性、善峰寺観性など、当代を代表する人々の結縁は中世の勧進僧たちによる宗派にとらわれない人師のネットワークの存在を想起させられる。また建久五年(一一九四)頃、京都を中心に一万数千名を集めて結縁造像された遣迎院阿弥陀如来像(国重要文化財)の像内納入品資料の結縁交名と人的な構成が類似していることから、ほぼ同時代に行われた勧進活動との関係が想定される。このなかに「源空」の署名もみられる。
【所収】図録『法然上人聚英』
【参考】田中塊堂『日本写経綜鑒』(思文閣、一九七四)、青木淳『遣迎院阿弥陀如来像像内納入品資料』(『日文研叢書』一九、一九九九)
【参照項目】➡一心寺
【執筆者:青木淳】
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