「六曜」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ろくよう/六曜
暦注の一つで、日の吉凶が判じられる。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六種あり、おおむねこの順で循環する。現在の日本においても、慣習的に、結婚式は大安が良い、葬式は友引を避ける、また地域によっては友引には火葬場を休業とするなど、主に冠婚葬祭に結びつけて利用されることがある。六曜は、陰暦では月の始めにおいて順序が変わる。例えば正月と七月の朔日は先勝で始まり、二月と八月の朔日は友引、三月と九月の朔日は先負、四月と一〇月の朔日は仏滅、五月と一一月の朔日は大安、六月と一二月の朔日は赤口で始まるのである。そして、閏月のあるときには前月と同じ六曜から始まる。陰暦の大の月は三〇日、小の月は二九日であり、月の大小は年により異なり、新暦のように一定していない。また、六曜は二月一五日を必ず仏滅、四月八日を大安、一二月八日を先勝、七月一四日を友引、一五日を先負と決めている。二月一五日は釈迦入滅の日、四月八日は釈迦誕生の日、一二月八日は釈迦が悟りを開いた日、七月一四日、一五日は盂蘭盆にあたり、仏教の重要な日を六曜に組み込んだものである。六曜の起原は不詳であるが、一説には中国の占術の一つである六壬の影響が考えられるとされる。六壬とは大安・留連・速喜・赤口・将吉・空亡の総称であり、唐代の天文学者李淳風(六〇二—六七〇)が考案したとされる。六壬は中国では六壬時課といわれ、時刻の吉凶を判断したもので、その配列と時刻の関係は次の通りである。
正月・七月朔 大安(その日の子の刻を大安とする)
二月・八月朔 留連(その日の子の刻を留連とする)
三月・九月朔 速喜(その日の子の刻を速喜とする)
四月・一〇月朔 赤口(その日の子の刻を赤口とする)
五月・一一月朔 将吉(その日の子の刻を将吉とする)
六月・一二月朔 空亡(その日の子の刻を空亡とする)
これを参考に江戸中期に小泉松卓が『頭書長暦』を著し、日に吉凶を配した。これは毎年同じ日が必ず大安になるという、一年中の日の吉凶が永久に決まってしまうものであった。そこで、六曜の考案者はこの仕組みを巧みに利用して、ある特定の日に大安や仏滅を組み込み、六曜の循環を考えた。延享四年(一七四七)に編纂された『万暦両面鑑』に現代の六曜が初見される。仏教の特定日との関係を考えると、この考案者は陰陽道に精通した僧侶と考えられる。
【参考】安藤宣保『六曜を考える』(鬼頭印刷、一九九〇)
【執筆者:清水浩子】