「了忠」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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りょうちゅう/了忠
一三世紀末頃、生没年不明。禅観ともいう。藤原右兵尉秀茂の子で、九条金頂寺の別当を務めた。『法水分流記』によると鎮西流の道光の弟子とされ、また『総系譜』によると源智の系統の百万遍知恩寺三世蓮寂房信慧もしくは四世道意の弟子でもあったという。信慧が良忠と談義して鎮西流に合流したのに伴い、二つの系統の師を持つ。
【資料】『翼賛』五八、『知恩寺歴志略』
【参考】三田全信『改訂増補 浄土宗史の諸研究』(山喜房仏書林、一九八〇)
【執筆者:齋藤蒙光】