「本校・支校」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ほんこう・しこう/本校・支校
一九世紀末(明治二〇年代)に設置された宗学本校・宗学支校のこと。明治二〇年(一八八七)七月制定の浄土宗学則により、一宗の学校を宗学校と普通学校とし、宗学校は高等科・尋常科に分け、高等科を宗学本校、尋常科を宗学支校と称し、宗学本校は一宗共立、宗学支校は各地方の共立、宗学本校は宗侶の高等教育、宗学支校は宗侶を志すものの普通教育を施す機関とされた。この新学則は全国的に統一・系統化した新しい教育制度として注目される。宗学本校は黒田真洞を校長として、明治二〇年九月、東京芝天光院に開校された。宗学支校は当時制定された七大教区制に基づき、第一教区に東京支校、第二教区に京都支校、第三教区に愛知支校、第四教区に長野支校、第五教区に東北支校、第六教区は未開設、第七教区に鎮西支校が設立され、宗侶の普通教育の養成にあたった。六支校設置ののち、第七教区内の山口大教会が独立して山口支校を設け、未開設の第六教区の教会と合併、第二教区の大阪大教会が分かれて大阪支校を設置、結局全国八ヶ所に宗学支校が置かれた。明治三一年(一八九八)五月、浄土宗学則が更正され、宗学本校は浄土宗専門学院と浄土宗高等学院とに分離改称され、宗学支校は第一ないし第八教区教校と改称されることになった。
【参考】『佛教大学史』(佛教大学、一九七二)、『大正大学五十年略史』(同編纂委員会、一九七六)
【参照項目】➡浄土宗学制
【執筆者:宇高良哲】