—正保四年(一六四七)八月一九日。琴蓮社伝誉。丹後国田辺の人。関東におもむき増上寺に掛錫かしゃくし、存応に師事して宗学を学んだ。後、故郷の宮津に帰り見生寺を開山、その後同じく宮津の大頂寺に移り八月一九日に寂した。
【資料】『総系譜』中(浄全一九)
【参考】玉山成元『普光観智国師』(白帝社、一九七〇)
【執筆者:田中芳道】