「信光明寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しんこうみょうじ/信光明寺
愛知県岡崎市岩津町東山。弥勒山宗岳院。三河教区№一三〇。宝徳三年(一四五一)松平三代信光の開基、釈誉存冏の開山。三河の豪族松平信光が岩津に城を構え城主となったとき、祖父親氏・父泰親の追善のため城内に廟所を建立して信光明寺と名づけ、飯沼弘経寺から三河に遊歴していた存冏を招いて開山とした。文明一一年(一四七九)、後土御門天皇の勅願所となった。元亀二年(一五七一)には、武田信玄の三河進出によって法堂(現・観音堂、国重要文化財)を残して諸堂を焼失したが、二年後徳川家康の命によって再建されている。慶長七年(一六〇二)朱印地一二〇石を、また寛文三年(一六六三)には、常紫衣の綸旨を賜り、紫衣地となった。江戸末期には火災があり、現在も残る宝永以前の建物は、観音堂と客殿・唐門・総門のみである。
【資料】『蓮門精舎旧詞』一六
【執筆者:水谷浩志】