「心行願体」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
しんぎょうがんたい/心行願体
『無量寿経』に説かれる第十八願文の本意は、安心(三心)をもって主な願体となすか、起行(実践行)をもって主な願体となすかという問題について、第十八願は安心の具わっている起行を願体とするということ。第十八願文の「至心信楽欲生我国」を安心、「乃至十念」を起行として捉えた上で、この両者のいずれを第十八願の主体と見るかについて浄土各派に異説がある。良忠は『伝通記』に「安心無くんば本願の念仏に非ず」(浄全二・三七九上/正蔵五七・六四四下)と述べる。これを受けた良暁は『浄土述聞鈔』に「心行相い備えて実に往生するを願体とする」(浄全一一・五五三上)と述べ、また聖冏『糅鈔』には「十八の願体は三心具足の名号なり。もし安心無き念仏は願体にあらず」(浄全三・五二二)とあり、心行ともに含まれる心行願体の説を用いている。
【参考】石井教道『選択集全講』(平楽寺書店、一九五九)
【執筆者:長尾隆寛】