「一運寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版
いちうんじ/一運寺
大阪市住吉区住吉。法性山(龍王山・金龍山)宝樹院。大阪教区№三八。円光大師御遺跡四十八所の番外札所。法然が住吉神社へ参籠したときの遺跡と伝えられる。寺伝によると、推古二一年(六一三)聖徳太子の建立で、七堂伽藍があり、古くは磯長山転法輪寺と号したという。霊沢は『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』の「附録番外之寺院」の中で、法然が紀州大川から勝尾寺へ向かう途中、住吉明神へ参籠のおり逗留の遺跡とする。宝徳二年(一四五〇)良公が再建し中興開山となり、天正一四年(一五八六)存牟が再建したが、元和元年(一六一五)兵火で焼失、寛永八年(一六三一)龍哲が本堂を再建した。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』(『藤堂恭俊博士古稀記念浄土宗典籍研究』資料篇、藤堂恭俊博士古稀記念会、一九八八)、名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』
【参考】浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)
【執筆者:山本博子】