「浄業法師碑文」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:25時点における最新版
じょうごうほっしひぶん/浄業法師碑文
くわしくは「大唐龍興大徳香積寺主浄業法師霊塔銘」という。浄業と、浄業が私淑した善導の事蹟を記した碑文。唐の畢彦雄撰。善導の弟子懐惲の碑である隆闡法師碑(『金石萃編』八六)の記事と対比される、善導伝の貴重な資料。碑文中には浄業の出自および人となり、そして浄業が高宗皇帝の忌辰に出家し、のちに長安神禾原香積寺すなわち善導墓所に建てられた寺の主となり、教化に努め、延和元年(七一二)、端坐念仏して五八歳で夏六月一五日入滅し、同年一〇月二五日に神禾原の善導の墓域内に陪葬されたことを記している。懐惲と浄業は同郷(南陽)で懐惲より一六年の後輩にあたる。この碑は門人思頊等によって開元一二年(七二四)に建てられた。筆法は褚登善を習ったもので、搨するものが多かったという。数多くの金石書に著録されている。
【所収】『金石萃編』七五、『八瓊室金石補正』五二
【参考】塚本善隆「金石文に見えたる善導と道綽」(仏教学三・七、一九二四)、金子寛哉『「釈浄土群疑論」の研究』(大正大学出版会、二〇〇六)
【執筆者:金子寛哉】