「顕道」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
Seishimaru (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|
(相違点なし)
|
2018年3月30日 (金) 06:23時点における最新版
けんどう/顕道
寛政二年(一七九〇)—安政五年(一八五八)五月一二日。徳蓮社万誉所帰命阿隆遂。知恩院七一世。越中国射水郡新湊放生律(富山県射水市)に生まれる。同地の大楽寺に入り、その後、鴻巣勝願寺を住持ののち、嘉永元年(一八四八)九月一九日五九歳にして知恩院七一世となる。翌二年一〇月二三日大僧正に任ぜられる。在任中の安政四年(一八五七)閏五月一一日孝明天皇より知恩院二五世超誉存牛に「高顕真宗国師」の諡号を賜る。
【資料】『華頂誌要』(浄全一九)
【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:伊藤弘道】