—寛永一六年(一六三九)一〇月四日。光蓮社円誉。字あざなは覚冏。安房国に生まれる。増上寺一二世存応の門に入り、存応を中心として江戸城で行われていた法談にしばしば出席した。その発言は鋭く、会座の白眉と称されるほどであり、諸学に通じた広い学識は評判が高かった。普段は浅草善徳寺に住み、大衆教化に勤しんだ。
【資料】『鎮流祖伝』七(浄全一七)
【執筆者:大屋正順】