「慶秀」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:23時点における最新版
けいしゅう/慶秀
文明八年(一四七六)—永禄二年(一五五九)九月一〇日。千蓮社伝誉。百万遍知恩寺二五世。一二歳のとき、知恩寺二三世真誉のもとで出家。修学の後も比叡山や東寺などで学び、聖浄顕密の奥旨を極めた。文亀三年(一五〇三)に八幡正法寺一一世となり、大永元年(一五二一)勅詔により知恩寺に晋董する。同三年には、香衣執奏の永宣旨を得るが、これを契機に知恩院との座次争いが起こった。天文年間(一五三二—一五五五)に正法寺に退隠。世寿八四歳。
【資料】『長徳山知恩寺歴志略』(仏全一一七)、『鎮流祖伝』五、『新撰往生伝』三(共に浄全一七)
【参考】伊藤祐晃『浄土宗大本山百万遍知恩寺略志』(大本山知恩寺法教科、一九一〇)、玉山成元『中世浄土宗教団史の研究』(山喜房仏書林、一九八〇)
【執筆者:加藤弘孝】