「川合梁定」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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かわいりょうじょう/川合梁定
安政六年(一八五九)—昭和七年(一九三二)四月一日。戒蓮社禅誉獅子奮迅阿、字は卍翁、また筆号を木葉散人という。浄土宗布教界の重鎮。摂津国大坂の商人・川合市郎兵衛の四男として生まれ、明治二年(一八六九)現在の京都市上京区北野の西正寺で出家、同八年上京して深川の霊巌寺で梁誉観定について宗学を修めた。同九年西正寺の住職となり、公会議員、本部巡教使、軍隊布教使を経て、一時、西正寺を退隠したが、推されて同四四年敦賀の西福寺に入山した。翌大正元年(一九一二)開山廟所念仏堂を修繕し、山門・諸堂宇の修繕を企図したが、完成を待たずして昭和二年(一九二七)西正寺に退いた。退隠後は、一切の公職に就くことなく、布教に専念した。著書には『旧約全書不可信論』(布部常七、一八八二)、『地獄伝信記』(律書房、一八八五)、『夢の浮橋』(横山泰次郎、一八八八)、『宗祖大師遺跡霊場巡拝案内記』(宗粋社、一九〇一)、『脚本法然上人』(同、一九一〇)、『浄土三部経和解』(同、一九二二)などがあり、雑誌『卍字叢誌』は明治二〇年(一八八七)以降、毎月発行された。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:北條竜士】