「立教開宗」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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りっきょうかいしゅう/立教開宗
教えを立てて宗派を開くという意。「立教」とは普通、教えの権実を判ずること、つまり何が真実の教え(実)で、何が方便の教え(権)であるかを判ずることとされる。換言すれば、教相判釈を打ち立てることといえよう。法然も『無量寿経釈』(昭法全六七~八)において、諸宗の教相判釈(天台の五味・四教など)と道綽の教相判釈(聖浄二門判)を提示し、それをもって「立教開宗」の説明としている。一方、「開宗」とはまさに宗派を開くことであるが、そもそも「宗」を教えと見なすか教団と見なすかで、開宗の実質的意味合いも異なってくる。教えと見なせば、立教=開宗となる。一方、宗を教団と見ると、立教した教えを奉ずる集団の形成が不可欠となるので、立教と開宗は別で、立教した後に開宗ということとなろう。法然は上述の『無量寿経釈』での説示からしても、また『十二問答』第一問答で「宗の名を立つる」とは「経教につきて存じたる義を学しきわめて、宗義を判ずる事」(昭法全六三二)と述べていることからしても、立教=開宗と考えていた可能性が高い。ただし、それが当時の仏教界の共通認識であったというわけではない。法然批判の書である貞慶『興福寺奏状』の「新宗を立つる失」(日本思想大系一五『鎌倉旧仏教』三二~三三)においては、立宗(開宗)のためには①教えの権実を判ずるほかに、②権威ある師から直接に教えを授けられていること(直受相承)、③朝廷の許可を得ていること(勅許)が必要であると説き、法然は①についても問題があるが、特に直受相承と勅許がないので開宗は不当であると厳しく批判している。このことから当時、少なくとも、開宗には直受相承と勅許が必要との考え方が存在していたことがうかがい知れる。
【参考】曽根正人「平安初期南都仏教と護国体制—延暦二十五年新年分度者制の意義」(土田直鎮先生還暦記念会編『奈良平安時代史論集』下、吉川弘文館、一九八四)、同「九世紀に於ける天台宗の八宗体制への同化」(『就実女子大学史学論集』一、一九八六)、善裕昭「初期法然の宗観念」(『佛教大学総合研究所紀要』三、一九九六)
【執筆者:安達俊英】