「菩薩」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぼさつ/菩薩
菩提(覚り)を求める衆生のこと。また菩提と衆生をともに気にかける存在のこと。Ⓢbodhisattva。菩提薩埵と音写され、また大士などとも同義。菩薩は、仏伝文学を背景として生まれた言葉と考えられている。仏伝文学では、ある仏がある衆生に対して、「将来、仏になることができる」という予言を与える場面が描かれる。このような予言を授かった衆生は、いずれ仏となることが約束され、覚り(Ⓢbodhi)を目指して修行する衆生(Ⓢsattva)であるから菩薩と呼ばれる。このような菩薩は、仏の前段階を指す。部派仏教の説く菩薩は、ただ「仏となることができる」という予言を与えられただけの存在ではなく、その予言を受けてから一〇〇劫もの長きにわたり修行して、三十二相を得た存在である。つまり、予言を受けたものが三十二相を得て、初めて菩薩となる。阿含経典や部派仏教が説く菩薩の代表は釈迦菩薩であり、仏となることが定まった衆生の修行時代を菩薩と呼んでいる。しかしこのような菩薩は、大乗経典が説く菩薩とは異なる。菩薩乗ともいわれる大乗仏教では、あらゆる衆生に菩薩となる道が開かれていると説く。大乗仏教では覚りを求める心を起こせば、あらゆる衆生が菩薩となることができるのである。菩薩とは覚りを求める心を起こし、さらに自分以外のあらゆる衆生を救い導き、覚りを開かせようと誓った存在であり、覚りと衆生をともに気にかける存在である。また大乗の菩薩には、観音菩薩など高位の菩薩が多数存在する。このような菩薩は仏になれるにもかかわらず、あらゆる衆生を救い導こうという誓いのもと、自ら地獄等の悪趣に赴き教化活動をなす。一方、部派が説いた菩薩は悪趣に生まれることなく善趣にのみ生まれて、修行にはげむ存在である。両者の相違は、大乗仏教の菩薩が自利よりも利他を優先させる存在であることを示している。また大乗仏教では、覚りを求める心を起こしたばかりの新発意の菩薩から、観音のような高位の菩薩まで様々な菩薩が存在し、これらの菩薩の階位を体系的に説く理論が発展した。なお、「菩薩」を略して「[ササ(要作字)]」と記すことがあるが、カタカナの「サ」を二つ重ねたように見えることからこれを「ササ菩薩」と称している。
【資料】『俱舎論』一八
【参考】『八千頌般若経Ⅰ』(『大乗仏典』二、中央公論社、一九七四)、平川彰『初期大乗仏教の研究Ⅰ』(『平川彰著作集』三、春秋社、一九八九)
【参照項目】➡三十二相、新発意一、菩薩の階位、摩訶薩、菩提心
【執筆者:石田一裕】