「北条時頼」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ほうじょうときより/北条時頼
安貞元年(一二二七)—弘長三年(一二六三)一一月二二日。薗田太郎成家(智明房)を介し、法然の教えに帰依したとされる関東武士。『四十八巻伝』二六では、西明寺の禅門とされる。若い頃から成家の住む小倉の草庵を尋ね、それが機縁で弘長二年(一二六二)信空の弟子の信瑞が関東に下向したとき、法然の行実を見聞する機会を得て、その翌年一一月二二日に往生した。没年月日が幕府執権の北条時頼(最明寺殿)と全くおなじであるため、西明寺禅門と同一人物であると比定されるが、時頼の行実は念仏とは無縁で、ひたすら禅に帰依し、葬儀もその規式に則り執行されている。
【資料】『四十八巻伝』(聖典六)、『吾妻鏡』
【執筆者:小此木輝之】