一七世紀末頃、生没年不明。諱いみなは不可思儀。増上寺北谷に住んだ学僧。宗乗・余乗、ことに『起信論』は本末の諸部に精通したといわれる。毎年夏期に聖冏述『釈浄土二蔵義』を講じ、良忠述『伝通記』の注釈を行う。天和二年(一六八二)尾張国主の招請で同地方を教化し、また貞享三年(一六八六)には曇鸞著『往生論註』の注釈書『論註頭書』を刊行した。
【資料】『鎮流祖伝』(浄全一七)
【執筆者:中野真理子】