「橋本定幢」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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はしもとじょうどう/橋本定幢
安政五年(一八五八)六月一日—明治四五年(一九一二)三月二三日。建蓮社法誉唱阿。字は耕月。三重県多気郡の人。父は渡辺久七。大淀観福寺の長誉泰定のもとで得度。後に橋本快誉より宗学と漢学を学ぶ。明治一六年(一八八三)に四等説教師に任命される。同二〇年一〇月に管長の命で台湾に派遣される。同二三年に福岡教安寺の二一世住職となり、同二八年台湾征討軍布教師となる。台北に在留して布教に従事し、同二九年に帰国して、伝道布教につとめた。
【参考】藤本了泰・玉山成元編『浄土宗大年表』(山喜房仏書林、一九九四)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:田中芳道】