「永正寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:20時点における最新版
えいしょうじ/永正寺
和歌山県海南市日方。弁財天山正定聚院。和歌山教区№四一。権大納言飛鳥井宗俊の子である上蓮社杲誉が永正年間(一五〇四—一五二一)に開山。後柏原天皇より年号にちなんだ寺号の「永正寺」と「甘露殿」の二つの勅額を賜り山門に掲げたので、門前の町を現在でも御門町という。天正五年(一五七七)兵乱で焼失。再建するも、同一〇年の豪雨で山が崩れたため、山上にあった堂宇を現在の地に移した。文政一三年(一八三〇)再び火事で焼失したが、十余年の年月を費やして再建され現在にいたる。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三四(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『紀伊続風土記』一九
【執筆者:横田善教】