「二尊教」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:30時点における最新版
にそんきょう/二尊教
釈迦と弥陀の教説のこと。慧遠・智顗・吉蔵などの中国の聖道門の諸師が『観経』を一尊教として解釈したのに対して、善導が『観経』を二尊教として解釈したことにもとづく。『観経疏』玄義分に「十方恒沙仏、六通をもって、我を照知したまえ。今、二尊の教に乗じて、広く浄土の門を開かん」(聖典二・一六一/浄全二・一下)と説かれる。良忠は『伝通記』玄義分記二において「二尊教とは、先師の云わく、釈迦如来、弥陀の事を説く。能所、合い論ず故に二尊と云う。この故に教の言はただ釈迦に属す。一段の化儀に標するところの教の言、ひとえに教主に被しむる故なり。また二尊教の言は、大小阿弥陀教に通ずべし」(浄全二・一一一下)と述べている。同様に『観経疏略鈔』一において「問う。二尊教の意いかん。答う。釈迦、弥陀の事を説くが故に能説所説を合して二尊教と云うなり」(浄全二・四四六下)と説かれる。これによると二尊教とは、釈迦が説く教えと、阿弥陀仏の教えとが一致していることであり、また三部経すべてに通じるものである。なお二尊教については、二尊一教と二尊二教の理解がある。
【資料】『糅鈔』、「大胡太郎実秀が妻室のもとへ遺はす御返事」、『大経直談要註記』一
【執筆者:笠島崇信】