「忌み」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版
いみ/忌み
神事や異常な現象などに対してとる戒慎、または穢れを避け、身を慎むこと。積極的に自らの聖性を維持する「斎」と、消極的に異常なものを避けて通る「忌」と二つに分けることが可能である。宮中では、不吉なことを連想する言葉を避ける語として忌詞を用いた。伊勢の斎宮では、『延喜式』五(神祇五)の定めによって、仏を中子、経を染紙というように、仏教に関連した七語を忌詞とした。このほか、死を「奈保留」、病いを「夜須美」と言い換え、泣くを「塩垂る」、血を「阿世」、打つを「なづ」などと言い換えた。また、堂を香燃、優婆塞を角筈といった。一般には摺鉢を当たり鉢、火事を水流れ、葦を「よし」、梨を「ありの実」と言い換えたのはよく知られている。日本人は浄・不浄の感覚に鋭敏で、日本ほど流血と死を忌む文化を育んだ地域はないとされている。法然の忌みに対する考え方は『一百四十五箇条問答』に見ることができる。
[思想としての忌み]
忌みは、日本人の意識の根底に沈澱して、一つのリズムをなし、日常生活を律する思想ともなっている。忌みの思想は、民俗のレベルでは赤不浄・白不浄・黒不浄の名で呼ばれている。赤不浄・白不浄にいう穢れとは血の穢れで、赤不浄は女性の月経、白不浄は出産の出血を指す。月経期間中の女子や産婦は不浄とされ、人里を離れた「月経小屋」や「産小屋」に一定期間こもって隔離生活を行う習俗を伴った。一方、黒不浄は死の穢れで、墓地に埋葬される前に遺体が一定期間こもる「喪屋」が対応するといえる。このように、赤不浄・白不浄・黒不浄の習俗慣行は穢れを避けるという共通の意味をもつものとみることができる。血に対する忌みでは当事者が、喪の忌みでは遺族が、それぞれ血穢・死穢のために隔離生活を送った。忌みに服すること(服忌・忌服)は、飲食物を別にすることで、他人と同じ火で煮炊きする「合火」を避けるなど、具体的には火と水を別つことにあった。忌は火に通じ、中国・四国地方では血穢をアカビ(赤火)といい、奈良では死穢をクロビ(黒火)、岩手ではシニビ(死火)といったことにも通じる。忌みに入ることを「別火」、忌み明けを「合火」と表現するなかに、隔離生活の開始、集団生活への復帰が表現されているとみることができる。しかし、現代では医学の発達や衛生観念の変化によって、とくに血穢は現代人の慣行にも心情にもほとんど存在しないといってよい。月経小屋、産小屋などの習俗の存在は少なくとも明治初期頃までであった。それ以降から戦前においては各地の遺風が報告されている程度であり、戦後は全く姿を消している。一方、「喪屋」は形態の上では埋葬墓地の上に、木ないし麦藁の小屋や屋根をあしらった霊屋に名残をとどめているが、遺族が忌みごもって隔離生活を送る習俗は消滅している。わずかにその遺風をとどめているのが、忌服の慣行であろう。「忌引」の制度は現代においても認められており、服喪中の年賀欠礼は、社会慣行となっている。このように制度レベルでの忌服習俗の残存は、古代より連綿と伝えられてきた忌みの思想の根強さを伝えるものとみることができる。古代以来、支配者によって制度化された忌服に関する法令は、各時代の民俗慣行を無視して成り立っているものではなく、現代においても同様である。
【参考】柳田国男『禁忌習俗語彙 復刻版』(国書刊行会、一九七五)、佐藤俊夫『習俗』(塙書房、一九六六)、井之口章次『日本の俗信』(弘文堂、一九七四)、竹中信常『タブーの研究』(山喜房仏書林、一九七七)
【執筆者:藤井正雄】