「俊海」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しゅんかい/俊海
元文五年(一七四〇)—文化元年(一八〇四)一二月二八日。深蓮社逾誉願阿、字は性如。金戒光明寺四七世。出雲国神門郡(島根県出雲市)に生まれ、幼くして円覚寺(同雲南市)の俊徹のもとに弟子入りし、その後、増上寺に進んで学頭職に就く。寛政三年(一七九一)小金東漸寺三六世住職に就任。同一〇年一二月に金戒光明寺に進董して、四七世の法灯を継承した。在任中の同一一年二月には官命により境内の地図を作製し、享和二年(一八〇二)六月に大方丈の上棟式を勤修。また同年一一月には、黒谷山内寺院に対して宗脈の相伝を行ったが、大方丈の完成を見ずに、文化元年一二月二八日に世寿六五歳で遷化。
【資料】『黒谷誌要』『小金東漸寺志』(共に浄全二〇)、『浄源脈譜』『三縁山志』八(共に浄全一九)
【執筆者:井野周隆】