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鳥羽の作り道

提供: 新纂浄土宗大辞典

とばのつくりみち/鳥羽の作り道

京都市南区四ツ塚町(平安京の羅城門の跡)から上鳥羽・下鳥羽にまっすぐ南下する古道。久安三年(一一四七)春二月一三日、法然比叡山に登る途中の「つくりみち」で法性寺殿(関白藤原忠通)に遭っている(『四十八巻伝』二)。『徒然草』一三二には「鳥羽の作り道は、鳥羽殿建てられて後の号にはあらず、昔よりの名なり」として、この道が一〇世紀以前に存在していたことが推定できる記事を載せる。『太平記』八では「作道十八町」とあり、院政期に鳥羽殿(白河・鳥羽・後白河の三代の御所)が営まれるに伴い洛中とを結ぶ要路となった。法然が流罪のときに川舟に乗った桂川の「鳥羽の南門」(『四十八巻伝』三四)へも結ぶ道であった。


【資料】『翼賛』四九、『太平記』一(『日本古典文学大系』三四、岩波書店、一九六〇)、『方丈記 徒然草』(『新日本古典文学大系』三九、岩波書店、一九八九)、『山城国紀伊郡里々坪付帳』(『図書寮叢刊』九条家文書三、宮内庁書陵部、一九七三)


【参照項目】➡藤原忠通


【執筆者:山本博子】