阿弥陀山
提供: 新纂浄土宗大辞典
あみださん/阿弥陀山
茨城県常陸太田市松栄町。不軽山ともいう。聖冏が『直牒』一〇巻を撰述したとされるところ。聖冏の伝記によると、応永三年(一三九六)佐竹義秀の乱が起こり、その戦火を避けるために瓜連常福寺から阿弥陀山の洞窟に移り、飢寒に耐えて同書を著した。その由緒によりこの洞窟を直牒洞と呼んだとしている。しかし、『常福寺文書』に「善秀の乱」とあることから、同二三年の上杉禅秀の乱の誤伝と考えられる。なお、常福寺三世明誉了智は永享四年(一四三二)に師恩に報いるためにこの地に高(香)仙寺を建てた。
【資料】『常福寺文書』(『茨城県史料』中世編二、一九七四)、『了誉上人行業記』(浄全一七)
【参考】菊地勇次郎「中世における浄土宗鎮西義の展開」(『封建・近代における鎌倉仏教の展開』法蔵館、一九六八)、堤禎子「願行房と常陸阿弥陀山—東国における鎌倉期の仏教の展開をめぐる二、三の問題—」(『茨城県立歴史館報』一〇、一九八三)
【参照項目】➡直牒洞
【執筆者:𠮷水成正】