補特伽羅
提供: 新纂浄土宗大辞典
ふとがら/補特伽羅
人や自我を意味する語。また輪廻の主体となるもの。Ⓢpudgalaの音写語。人・我・数取趣などと意訳される。また弗伽羅などとも音写され、「ふどがら」「ほどぎゃら」とも読む。仏教では、人無我(Ⓢpudgalanairātmya)が説かれ、基本的に補特伽羅には実在性が認められず、それを五蘊が寄り集まってできた仮の存在とする。ただし犢子部は五蘊と異なるのでもなく、同じでもない補特伽羅の存在を認める。そして、この補特伽羅を輪廻の主体と理解する。しかし『俱舎論』破我品では、この犢子部の説が全面的に否定されている。ただし、仮の存在としての補特伽羅は仏典に広く認められ、『瑜伽論』二六では二八種の補特伽羅が、有部の論書には五種の補特伽羅が説かれている。このような補特伽羅は、おおよそ人を意味する語であり、その能力の違いによって様々な分類がなされるのである。
【参考】大正大学綜合仏教研究所声聞地研究会『瑜伽論 声聞地 第二瑜伽処 付 非三摩呬多地・聞所成地・思所成地—サンスクリット語テキストと和訳—』(山喜房仏書林、二〇〇七)
【執筆者:石田一裕】