熊野宗純
提供: 新纂浄土宗大辞典
くまのそうじゅん/熊野宗純
明治一二年(一八七九)一月二日—昭和二一年(一九四六)一一月九日。大蓮社専誉光阿。字は泗水。山口県吉敷郡嘉川村(現・山口市南西部)に岡村権蔵の三男として生まれる。明治三三年(一九〇〇)に浄土宗高等学院を卒業、同四二年に浄土宗学第六・第七連合教校の校長に就任し、同四三年に善生寺の住職となった。大正八年(一九一九)に山崎弁栄と出会い、光明主義に共鳴し光明会運動の中心人物となった。そのかたわらで中国浄土連盟の会長に就任した。著書に『救いの宗教』(光明修養会)、『念仏より見た法華経』(光明修養会)などがある。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:齋藤知明】