むしょとく/無所得
あらゆるものにとらわれないこと。Ⓢanupalabdhiなどの訳語としても用いられ、これは不可得とも訳される。無所得は経論において様々な解釈をされている。一例をあげれば『北本涅槃経』では、菩薩は無所得であるとされ、さらに四無礙や慧、あるいは大涅槃や大乗といった様々な菩薩の有する特性もまたすべて無所得であるという(正蔵一二・四六四上~下)。このように、無所得はおおよそ理想の境地として語られる。そこには、あらゆるものにとらわれないからこそ、菩薩は生きとし生けるものを巧みな手段で救い取ることができるという思想を見て取ることができる。
【執筆者:石田一裕】