ほんのうじ/本応寺
佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲。無量山寿経院。佐賀教区№五五。天正一四年(一五八六)鍋島直茂の姪華岳妙栄大姉が、討死した夫原直景の菩提を弔うために檀越となって建立した。当寺の開山は、徳川家康の命を受け幡随意と共に西下し妙栄の帰依を受けた誓誉である。寺号は塩田城主原左近大輔氏長の戒名「本応道詮大居士」にちなんで本応寺としたという。直景の息女が鍋島新右衛門の内室となったことから直茂から朱印状を下付された。
【資料】『無量山寿経院本応寺中興縁起』、『蓮門精舎旧詞』四二(続浄一九)
【執筆者:江島法俊】