めいしょうだいし/明照大師
明治四四年(一九一一)法然七〇〇回遠忌に明治天皇より加諡された大師号。前年一二月、知恩院門跡山下現有は内務大臣平田東助を通じて宮内大臣渡辺千秋に請願し、翌年二月二七日に勅許された。知恩院から「明照」「明信」を候補として提出し、前者が選ばれた。『浄土教報』によると、「明」の字は宮内省の通達で「ミョウ」ではなく「メイ」とよむことが求められたという。
【参考】野田秀雄「明照大師嘉号請願考」(同『明治浄土宗史の研究』四恩社、二〇〇三)
【参照項目】➡大師号
【執筆者:伊藤真昭】