少しばかりの善根を積んだところで極楽浄土に往生することはできないという意味。『阿弥陀経』に「少善根福徳の因縁をもって、かの国に生ずることを得べからず」(聖典一・三一八/浄全一・五三)とあることによる。これについて法然は『選択集』一三で「少善根とは多善根に対するの言なり、然れば則ち雑善は是れ少善根なり、念仏は是れ多善根なり」(聖典三・一七六)と説いている。これによれば、少善根とは多善根、すなわち念仏に対する語で、雑善のこととなる。
【執筆者:東谷敬信】