大衆部
提供: 新纂浄土宗大辞典
だいしゅぶ/大衆部
部派の名称の一つ。Ⓢmahāsāṅghikāḥ。摩訶僧祇部と音写される。釈尊入滅から一〇〇年後、その教団は戒律の理解をめぐり、大衆部と上座部に分裂した。この教団の分裂を根本分裂という。インドにおいてはその後、幾度かの分裂(枝末分裂)を重ね教団がおよそ二〇派となった。『異部宗輪論』によると大衆部は一説部、説出世部、鶏胤部、多聞部、説仮部(分別説部)、制多山部、西山住部、北山住部に分派したと伝えられる。戒律の解釈については、上座部がその厳格な適用を訴えたのに対し、大衆部はその緩和を主張したとされる。現存する文献で大衆部に属すと考えられるのは漢訳『摩訶僧祇律』であり、またサンスクリット語原典が残るマハーヴァストゥ(Ⓢmahāvastu)は説出世部の文献である。大衆部の教理が大乗仏教と類似することから、大衆部より大乗仏教が生じたという学説があったが、平川彰によりこの学説は批判され、現在では様々な部派の教理が大乗仏教の成立に影響を与えたと考えられている。
【参考】平川彰『初期大乗仏教の研究Ⅰ』(春秋社、一九八九)
【執筆者:石田一裕】