勝法房
提供: 新纂浄土宗大辞典
しょうほうぼう/勝法房
生没年不明。『四十八巻伝』八では、彼の名を「勝法房」(聖典六・九〇)とするが、聖聡『当麻曼陀羅疏』二二では、「勝宝房」(浄全一三・五五八上)とある。法然の門弟。絵を描くのが得意であったようであり、勝法房が法然の絵を描き、銘を法然に所望した。法然は鏡や水鏡を用いて頭の頂きの前後を見て、違うところを胡粉で修正し、彼に渡した。後日、なおも彼は銘を所望したので、法然は、『首楞厳経』の勢至円通の文の「我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土」(正蔵一九・一二八中)および、「十二月十一日 源空/勝法御房」と紙に書き授けたという。
【資料】『四十八巻伝』八(聖典六)
【参照項目】➡鏡の御影
【執筆者:角野玄樹】