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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0615A01: 號する一派の人士を輩出せり。彼等の唱ふる所時に
J20_0615A02: 膠柱彈吟の譏を免れざるも。紛紛たる腐敗濁亂の宗
J20_0615A03: 門に對して。確に有力なる防腐劑たりしなり。
J20_0615A04: 正德。享保の頃靈潭性澂あり。肥前の産にして少
J20_0615A05: 壯江戸に遊學し。增上寺證譽雲臥に就き兩脉を相承
J20_0615A06: し。後湖西安養寺第一世戒山慧堅を拜して梵網の大
J20_0615A07: 戒を受け。更に安養寺第二世湛堂慧淑を證明師とし
J20_0615A08: て瓔珞の羯磨によりて自誓受具す。寶永六年請に應
J20_0615A09: じて奧州相馬郡中村興仁寺に住し。東奧を慈潤する
J20_0615A10: 九年なりしが。享保二年辭して京都に歸り。洛東聖
J20_0615A11: 臨菴を開き持戒念佛を勸進し。享保十九年十一月三
J20_0615A12: 日五十九歳を以て寂す。照臨菴は本宗最初の律院に
J20_0615A13: して。和上は實に淨土律の開祖たり。靈潭の門下に
J20_0615A14: 湛慧信培。默龍性潜。德巖智高。義燈慧燃。體眞元
J20_0615A15: 如尼。普俊元慧尼あり。
J20_0615A16: 湛慧は洛西長時院中興奉律の祖なり。幼時法伯聞
J20_0615A17: 證和尚に就き倶舍唯識性相の學を習ひ。壯年江戸に
J20_0615B18: 留學し。靈山寺廓瑩に嗣法す。元祿十二年二十五歳に
J20_0615B19: して師跡華開院に住す。爾來道俗を集めて經論を講
J20_0615B20: 説して殆ど餘日なし。享保八年四十九歳にして法席
J20_0615B21: を弟子素寂に讓り。洛西龍安寺の子院に寓居す。甞
J20_0615B22: て惟へらく。戒は沙門の本軌。佛法の生命と。即靈潭
J20_0615B23: に就き沙彌戒を受け。專ら戒律を研究し。又洛西槇尾
J20_0615B24: 山及和泉大島山等の律院を周旋して其行事を暗悉
J20_0615B25: す。享和十年靈潭。玄門二師を請うて證明師とし。瓔
J20_0615B26: 珞羯磨により自誓受戒す。爾後五衆禀戒を僧體と
J20_0615B27: し。止作二持を僧行とし。念佛を正因とし。性相弘
J20_0615B28: 通を正見とす。享保十二年師命によりて洛西長時院
J20_0615B29: の廢趾を興し律院となす。之れ實に本宗律寺の嚆矢
J20_0615B30: なり。本山其功を賞して永世律院の規約を定め。宗
J20_0615B31: 内の高德多く其擧を賛し。又請して菩薩戒を受くる
J20_0615B32: 者多し。延享四年二月十九日長時院に寂す。壽七十
J20_0615B33: 二。﨟二十二なり。
J20_0615B34: 默龍は靈潭に從ひ。受具の後。備後國尾道に至り安

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