浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0614A01: | 年中忍澂の中興捨世地となせし所なるが。此に住す |
J20_0614A02: | ること廿有五年にして大に古風を振起せり。寬政元年 |
J20_0614A03: | 片山某の請に應じて道智寺に住せしが。同年七月廿 |
J20_0614A04: | 七日示寂す。其歷住せる四寺は勿論。別に高濱に蓮 |
J20_0614A05: | 乘院。名古屋に阿彌陀院を復興して。何れも捨世の |
J20_0614A06: | 道場たらしめたり。 |
J20_0614A07: | 大日比の法岸と前後して德本行者あり。紀伊國日 |
J20_0614A08: | 高郡久志村に誕生す。別に師敎を受くる所なかりし |
J20_0614A09: | も。苦修練行の結果堅固なる道念を得たり。説く所 |
J20_0614A10: | 權威あり。聽者歸伏せずと云ふことなし。郷里より京都 |
J20_0614A11: | を經て江戸に出で。小石川傳通院山内に住し。上下の |
J20_0614A12: | 歸崇を受け。後小石川に一宇を起し一行院と號す。 |
J20_0614A13: | 文政元年十月六日一行院に寂す。其弟子に高德多く |
J20_0614A14: | 諸處に捨世道場を開けり。即德住は參河國に赴き荒 |
J20_0614A15: | 井山九品院を建て。又浪華源正寺。名古屋光照院等 |
J20_0614A16: | を再興。捨世道場とし。尾三兩州に感化を施し。德因 |
J20_0614A17: | は淺草稱往院。武州辰沼龍巖寺を改めて捨世道場と |
J20_0614B18: | なし。本察は信州唐澤阿彌陀寺を再興す。寺は曾て |
J20_0614B19: | 彈誓の開く所なりしが。此に又捨世流を復興したる |
J20_0614B20: | なり。 |
J20_0614B21: | 七 律院 |
J20_0614B22: | 捨世が直接祖風の復興とすれば。律は佛制の興隆 |
J20_0614B23: | とすべし。隱遁專念の祖風が時世の變遷に連れて廢 |
J20_0614B24: | 退したるが如く。五八十具の佛制も末代には之を護 |
J20_0614B25: | 持するに人なく。假名比丘のみ跳梁跋扈せり。故に |
J20_0614B26: | 宗祖は當代の機根を三學無分と宣し。三學無分なる |
J20_0614B27: | が故に淨土念佛の敎行の必要を説かれぬ。然れども |
J20_0614B28: | 宗祖御自身依然僧形を棄てられず。傳法の高僧又沙 |
J20_0614B29: | 門の威儀を喪はずとせば。沙門比丘と必然の關係を |
J20_0614B30: | 有する律制はいかにすべき。滔滔たる天下僧形にし |
J20_0614B31: | て世俗も尚ほ耻辱とする行爲を敢てして顧ざる宗 |
J20_0614B32: | 門の狀況を見ては。志あるもの誰か「末世には名字比 |
J20_0614B33: | 丘あるのみ曷んぞ眞比丘あらんや」として晏如たる |
J20_0614B34: | をえんや。此に於てか宗門に於ても律制の興隆を呼 |