ウィンドウを閉じる

J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0614A01: 年中忍澂の中興捨世地となせし所なるが。此に住す
J20_0614A02: ること廿有五年にして大に古風を振起せり。寬政元年
J20_0614A03: 片山某の請に應じて道智寺に住せしが。同年七月廿
J20_0614A04: 七日示寂す。其歷住せる四寺は勿論。別に高濱に蓮
J20_0614A05: 乘院。名古屋に阿彌陀院を復興して。何れも捨世の
J20_0614A06: 道場たらしめたり。
J20_0614A07: 大日比の法岸と前後して德本行者あり。紀伊國日
J20_0614A08: 高郡久志村に誕生す。別に師敎を受くる所なかりし
J20_0614A09: も。苦修練行の結果堅固なる道念を得たり。説く所
J20_0614A10: 權威あり。聽者歸伏せずと云ふことなし。郷里より京都
J20_0614A11: を經て江戸に出で。小石川傳通院山内に住し。上下の
J20_0614A12: 歸崇を受け。後小石川に一宇を起し一行院と號す。
J20_0614A13: 文政元年十月六日一行院に寂す。其弟子に高德多く
J20_0614A14: 諸處に捨世道場を開けり。即德住は參河國に赴き荒
J20_0614A15: 井山九品院を建て。又浪華源正寺。名古屋光照院等
J20_0614A16: を再興。捨世道場とし。尾三兩州に感化を施し。德因
J20_0614A17: は淺草稱往院。武州辰沼龍巖寺を改めて捨世道場と
J20_0614B18: なし。本察は信州唐澤阿彌陀寺を再興す。寺は曾て
J20_0614B19: 彈誓の開く所なりしが。此に又捨世流を復興したる
J20_0614B20: なり。
J20_0614B21: 七 律院
J20_0614B22: 捨世が直接祖風の復興とすれば。律は佛制の興隆
J20_0614B23: とすべし。隱遁專念の祖風が時世の變遷に連れて廢
J20_0614B24: 退したるが如く。五八十具の佛制も末代には之を護
J20_0614B25: 持するに人なく。假名比丘のみ跳梁跋扈せり。故に
J20_0614B26: 宗祖は當代の機根を三學無分と宣し。三學無分なる
J20_0614B27: が故に淨土念佛の敎行の必要を説かれぬ。然れども
J20_0614B28: 宗祖御自身依然僧形を棄てられず。傳法の高僧又沙
J20_0614B29: 門の威儀を喪はずとせば。沙門比丘と必然の關係を
J20_0614B30: 有する律制はいかにすべき。滔滔たる天下僧形にし
J20_0614B31: て世俗も尚ほ耻辱とする行爲を敢てして顧ざる宗
J20_0614B32: 門の狀況を見ては。志あるもの誰か「末世には名字比
J20_0614B33: 丘あるのみ曷んぞ眞比丘あらんや」として晏如たる
J20_0614B34: をえんや。此に於てか宗門に於ても律制の興隆を呼

ウィンドウを閉じる