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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0613A01: 佛の修行者たるにあり。其敎化は江戸京都にも敷か
J20_0613A02: れざるに非るも。郷里たる尾張に最も深く洽かり
J20_0613A03: き。其質素淸洒なる風規は關通流として。宗門の一
J20_0613A04: 部に淸健なる感化を與へたり。
J20_0613A05: 關通の道風を傳承し。之を以て防長二州を風靡し
J20_0613A06: たるを大日比の三師とす。三師とは光譽法岸。承譽
J20_0613A07: 法洲。元譽法道是なり。三師相繼ぎ長門國大日比西
J20_0613A08: 圓寺に住し化を四方に布く。謂ゆる大日比一流の捨
J20_0613A09: 世流を形成せり。尚法岸の先輩にして關通上人と同
J20_0613A10: 年輩の連譽雲説あり。同國厚狹郡末益妙慶寺に住
J20_0613A11: し。道譽頗高く化導甚廣かりき。法岸は最初郷里に
J20_0613A12: 於て此人の感化を受け。江戸に於て關通に聽法し。
J20_0613A13: 京都に隨從して更に其敎を受けたり。故に單に關通
J20_0613A14: 流とは多少異なる所あるは當然なり。
J20_0613A15: 彈誓と殆んど時代を同うし以八あり。袋中良定の
J20_0613A16: 異母兄にして道心非常に深く。名利を嫌惡すること蛇
J20_0613A17: 蝎の如く。常に身を雲水に任せ心を往生にかけ。美
J20_0613B18: 作。筑後等の祖跡に詣して之が復興に奔走せしが。
J20_0613B19: 晩年安藝國宮島に至り嚴島神社の東岡に草菴を結び
J20_0613B20: て止住す。此菴後に光明院と稱す。此にありて慶長
J20_0613B21: 十九年九月十四日入寂す。以八滅後百五十餘年にし
J20_0613B22: て行譽學信此に來住す。師は縁山に掛錫成業の後。
J20_0613B23: 京都長時院湛慧律師に就き菩薩戒及八齋戒を受け。
J20_0613B24: 筑紫に赴き二祖の舊跡を拜し。歸路長門に雲説に謁
J20_0613B25: す。明和三年六月推されて獅子谷法然院に住せし
J20_0613B26: が。同年十一月之を辭して嚴島光明院に來住す。數
J20_0613B27: 年の後退きて同所加祐軒に住す。後郷里松山長建寺
J20_0613B28: に住し。更に太守の請に應じて大林寺に住せしが。
J20_0613B29: 晩年加祐軒に歸り。寬政元年六月七日此に寂す。光
J20_0613B30: 明院。加祐軒等は實に以八。學信の道風を傳ふる一
J20_0613B31: 派の捨世寺なりき。
J20_0613B32: 學信と時代を同うして三河に穩冏あり。鷲塚遍照
J20_0613B33: 院響譽の弟子なりしが。寳曆年中西尾縁心寺。鷲塚
J20_0613B34: 遍照院に住し。又中山貞照院に住す。院は曾て元祿

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