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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0574A01: ともに元和六年に寂せしが。其滅後の本宗は極めて
J20_0574A02: 平穩無事なりき。他宗に對しては。曾て天正七年五
J20_0574A03: 月。貞安織田信長の命を受け。日蓮僧日珖と安土に
J20_0574A04: 宗論し大に宗光を發揮し。慶長十三年十一月十五
J20_0574A05: 日。江戸城に於て廓山が常樂院日經と對論して彼を
J20_0574A06: 挫きたる以來。宗論の沙汰曾て聞かず。是れ一は幕
J20_0574A07: 府の監視嚴重にして。外よりの挑戰を許さざりしに
J20_0574A08: よるべきも。宗門に於ても自讚毀他を嚴禁して。内
J20_0574A09: より諍を惹起するの機會をあたへしめざりしによる
J20_0574A10: べし。安永三年本願寺より一向宗を改め淨土眞宗と
J20_0574A11: 稱せんことを幕府に請ひしにより。幕府之を錄所增
J20_0574A12: 上寺に謀りしが。錄所は檀林會議に附し其の是非を
J20_0574A13: 討議し。五箇條の理由を擧げて反對書を呈す。その
J20_0574A14: 後本願寺と問難往復數回に及びしも。錄所前議を固
J20_0574A15: 執して動かざりしかば。遂に未解決に終れることあ
J20_0574A16: りし外。對外交涉の無事なると同樣に。内部も極め
J20_0574A17: て無異なりき。
J20_0574B18: 元祿十年正月十八日。宗祖に圓光大師を敕諡せら
J20_0574B19: れ。正德元年四百回忌に際し。又東漸大師號を賜
J20_0574B20: ひ。爾後五十年毎に諡號宣下の例の開かれたるが如
J20_0574B21: き。諸宗の中に類例なき光榮なり。此等の光榮も餘
J20_0574B22: り多く宗侶を刺戟するの力なく。無爲の結果僧侶は
J20_0574B23: 安逸に耽り。萬事形式に流れ。また往日の元氣活力
J20_0574B24: を有せざるに至れり。三十五箇條の法度は。德川三
J20_0574B25: 百年を通して本宗宗侶が金科玉條とせるところなる
J20_0574B26: も。法度の明文次第に曲解せられ。除外例に除外例
J20_0574B27: の設けられて。此等が一種の習慣故例と成り。これに
J20_0574B28: よりて宗侶の養成。學席の昇降。住職の進退を拘束
J20_0574B29: したるを以て。檀林に在りて規則に遵由して昇進出
J20_0574B30: 世する者は。概して平凡軟骨の僧にして。氣慨あり
J20_0574B31: 識見あるの士は。多く檀林を遁れて山野に放浪する
J20_0574B32: に至れり。故に德川中世以後に於ては。學問の研究
J20_0574B33: も。布敎感化等の事業も。本山檀林及高等寺院の住
J20_0574B34: 職者の間に存せずして。概して早く檀林を辭して。

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