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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0572A01: 知恩院の靑門に對する關係かくの如くなりしも。
J20_0572A02: 慶長の初年に至り。滿譽尊照德川家康の歸依を得
J20_0572A03: て。境域を擴張し伽藍を營築して。靑蓮院を瞰下す
J20_0572A04: ると同時に。從來隷屬の因縁を斷絶し。次で知恩院
J20_0572A05: 宮門跡の設置を奏請裁可せらるるに及びては。朝廷
J20_0572A06: に對する事件も總て直接に奏請するを得るが故に。
J20_0572A07: 玆に靑門の手を離れて全く獨立せるのみならず。
J20_0572A08: 同一宮門跡として隣接拮抗し相降らざるの形勢を致
J20_0572A09: せり。
J20_0572A10: かくて總本山たる知恩院が天台靑蓮院門跡の配下
J20_0572A11: を脱却せると同時に。其支配に屬する本宗寺院は當
J20_0572A12: 然獨立することとなりしのみならず。元和元年淨土宗
J20_0572A13: 法度成りて。本末の關係。僧侶の養成等の制規確定
J20_0572A14: せらるるに及び。本宗は名實共に獨立の宗門とし
J20_0572A15: て。諸宗の間に存立するに至れり。殊に獨立宗侶養
J20_0572A16: 成の企圖は。冏師の傳法傳戒の形式を制定したるに
J20_0572A17: より略ぼ緖に就き。道感二師の對揚。關東學林の繁
J20_0572B18: 昌により漸次其完成に邇きつつありしが。玆に全く
J20_0572B19: 完成せられて一宗の飛躍に大なる力を與へたり。
J20_0572B20: 本宗を獨立せしむるに。知恩院の滿譽尊照の力與
J20_0572B21: りて大なりしことは勿論なるも。僧正にもまして有
J20_0572B22: 力なりしは增上寺の源譽存應なり。存應は天正十八
J20_0572B23: 年德川家康の江戸城に入るや。直に師檀の約束を締
J20_0572B24: 結して。本宗と德川氏との關係を確立したる人なり。
J20_0572B25: 本宗と德川氏との關係は。酉譽の徒弟存冏が松
J20_0572B26: 平信光の請に應じて信光明寺の開山と成り。愚底が
J20_0572B27: 親忠を勸めて大樹寺を創建せしめたる以來のことに屬
J20_0572B28: し。決して昨今のことに非ず。家康が增上寺を以て
J20_0572B29: 菩提所と定めたるも此因縁によること勿論なり。
J20_0572B30: 然れども存應にして時世を達觀して進退するの明な
J20_0572B31: く。機會を捕捉して活動するの勇斷なき一迂僧なり
J20_0572B32: しならんか。此舊關係を利用して宗門の飛躍に資す
J20_0572B33: ること。彼が如くなる能はざりしは知者を俟ちて後
J20_0572B34: 知らざるなり。

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