浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0387A01: | ○第十三世等珍僧海上人 |
J20_0387A02: | 珠明と號す。兩山を兼帶す。寬正五年六月六日寂一説 |
J20_0387A03: | 文龜元年七月十八日 |
J20_0387A04: | 一休禪師當山に詣して大師眞蹟の一枚起請に賛せる |
J20_0387A05: | は此頃なるへし。 |
J20_0387A06: | ○第十四世良玉僧秀上人 |
J20_0387A07: | 應仁兵火の後。越前に赴き文明七年七月十日彼地に |
J20_0387A08: | 寂す。 |
J20_0387A09: | ○第十五世威照良眞上人 |
J20_0387A10: | 上人は伊勢守平貞國の子にして良秀上人の徒なり。 |
J20_0387A11: | 應仁の亂に堂宇兵燹に罹りしかは衆徒四散し荒廢す |
J20_0387A12: | ること四十余年に及ふ。上人淨華院に留まりて明應 |
J20_0387A13: | 九年九月 後土御門天皇御終焉の知識に參す。永正 |
J20_0387A14: | 八年正月廿八日寂す。 |
J20_0387A15: | ○第十六世稱念秀馨上人 |
J20_0387A16: | 上人は伊勢守平貞祐の二男なり。叔父玄眞上人に就 |
J20_0387A17: | て得度し頗る博覽の聞あり。初め花開院に住し後ち |
J20_0387B18: | 淨華院に晋む。上人當山の廢絶を歎き之を興すの意 |
J20_0387B19: | あり理聖を看坊として宿志を果さしむ。天文八年七 |
J20_0387B20: | 月廿九日寂す。 |
J20_0387B21: | ○第十七世極譽理聖上人 |
J20_0387B22: | 上人は九州の人にして師承詳ならす。其檀興の才あ |
J20_0387B23: | るを以て秀馨上人慫慂して當山を再興せしむ。永正 |
J20_0387B24: | 九年七月前天台座主靑蓮院尊應准后隨喜して親ら勸 |
J20_0387B25: | 進の疏を勒して貴賤を奉加せしむ。上人拮据經營す |
J20_0387B26: | ること多年佛殿影堂漸くにして成る之を當山の中興 |
J20_0387B27: | とす。後柏原天皇當山の一枚起請文を叡覽あり『法 |
J20_0387B28: | 然上人眞筆一枚起請』と題したまふ。大永四年大師 |
J20_0387B29: | 眞筆鏡之御影を得て之を當山に納む。享祿三年七月 |
J20_0387B30: | 二十六日寂す。 |
J20_0387B31: | ○第十八世榮譽永眞(心イ)上人 |
J20_0387B32: | 行實詳ならす。戒光院の開山なりといふ。天文七年 |
J20_0387B33: | 六月二十八日寂す。 |
J20_0387B34: | ○第十九世西譽雲栖上人 |