浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0386A01: | て淨華院に入り敬法上人に就て剃髮し。法を定玄上 |
J20_0386A02: | 人に受け淨華院を董す。定玄上人示寂に及ひ 稱光 |
J20_0386A03: | 天皇の勅許を得て當山を領す。 |
J20_0386A04: | 上人學顯密を兼ね戒德一世に鳴る。應永三十二年七 |
J20_0386A05: | 月 稱光天皇の御不豫に際し黑戸に伺候して如法念 |
J20_0386A06: | 佛を修すること一七日。御惱忽に散せしかは叡感淺 |
J20_0386A07: | からず。後ち正長元年大漸に臨み勅して臨終の知識 |
J20_0386A08: | としたまへり。後小松上皇も屢仙洞に召して受戒念 |
J20_0386A09: | 佛し『淨土眞宗最初門』の額を賜ふといふ。將軍足 |
J20_0386A10: | 利義量公も終焉に臨み招きて知識たらしむ。正長二 |
J20_0386A11: | 年六月後花園天皇勅して香衣を賜ふ。是れ淨土鎭西 |
J20_0386A12: | 流香衣勅許の嚆矢か。永享年中將軍義敎公に乞ひ大 |
J20_0386A13: | 内伊勢二氏の援助を得て當山を興し宗侶受戒の道塲 |
J20_0386A14: | とす。後ち寺務を法弟良秀に讓り松林院に退き康正 |
J20_0386A15: | 元年八月十一日世壽六十六にして寂す。受業の弟子 |
J20_0386A16: | 二百餘人。上人の示寂異説あり、今「長興宿禰記」に依て推定す、 |
J20_0386A17: | 滅後八年 後花園天皇寬正三年八月佛立惠照國師と |
J20_0386B18: | 諡す勅草は左大辨菅原繼長卿の作進勅書に云く |
J20_0386B19: | 勅 戽淨刹之玄流、綽利於法筏、兼圓戒之眞 |
J20_0386B20: | 乘、廓擎於梵梁、等熙和尚 正吾宗之血脈、統 |
J20_0386B21: | 師家之肝要(言イ)、囊括八挺、褊爲玄簡之知識、衣 |
J20_0386B22: | 被九有、嫓爲光明之導師、况應先帝之勅喚、開 |
J20_0386B23: | 演安心之要門、諳敎主之弘願、奉示託生之直路、 |
J20_0386B24: | 遂呈生諸佛家之相、正成當座道塲之因、是以、 |
J20_0386B25: | 料歸崇之無比、推叡感之所覃、故樹立於風 |
J20_0386B26: | 聲、殊草創於日下、諡曰佛立惠照國師、 |
J20_0386B27: | 寬正三年八月十二日 |
J20_0386B28: | ○第十一世良秀僧尋上人 |
J20_0386B29: | 上人は定玄に就きて剃髮し國師に嗣法す。初め花開 |
J20_0386B30: | 院に住し。後ち淨華院及ひ當山を領す。寂年詳なら |
J20_0386B31: | す。舊記永享十年八月九日寂に作る、然るに「建内記」嘉吉元年七月生存の記事あり、其妄知るべし |
J20_0386B32: | ○第十二世聖深阿縁上人 |
J20_0386B33: | 國龍と號す。兩山を兼ぬ。長祿二年正月九日寂一説享德 |
J20_0386B34: | 二年八月九日 |