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J3030 黒谷光明寺誌要 黒谷編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0385A01: ○第五世素月房惠顗上人
J20_0385A02: 上人また圓智と號す。但馬の人平通盛四世の孫なり。
J20_0385A03: 十四歳にして惠尋上人の座下に投し翌年剃髮受戒
J20_0385A04: す。壯時園城法隆建仁の諸寺を歷遊して博く諸宗を
J20_0385A05: 究はめ。又鎌倉に往きて宗源を傳ふ。後ち京師に歸
J20_0385A06: りて當山を領し堂舍を恢興し始めて紫雲山金戒光明
J20_0385A07: 寺と號す或云金戒の二字は運空上人の時加ふる所と豫め死期を知り正安三年
J20_0385A08: 二月十八日寂す。
J20_0385A09: ○第六世壽觀房任空上人
J20_0385A10: 行實詳ならす。唯『中院一品記』に曆應三年八月德大
J20_0385A11: 寺亭に於て如法經十種供養の導師たりし記事あるの
J20_0385A12: 舊記正中三年三月朔日寂に作るは據り難し
J20_0385A13: ○第七世示觀(我イ)房範空上人
J20_0385A14: 行實詳ならす。文和二年正月十六日寂
J20_0385A15: ○第八世我觀(等玉イ)房運空(蓮イ)上人
J20_0385A16: 如法と號す。父は南都春日の巫祝なり。初め東大寺
J20_0385A17: に入りて剃染し。智藏房に就て唯識因明を研精す。
J20_0385B18: 後ち京師に出てて範空の門に投す。後光嚴帝其道譽
J20_0385B19: を聞召して金戒を禀け運空大道人の號を賜ふとい
J20_0385B20: ふ。永德二年八月十日寂す。
J20_0385B21: ○第九世定玄僧然上人
J20_0385B22: 上人は大納言萬里小路仲房卿の子なり。十二歳通玄
J20_0385B23: 比丘に就て得度し。後ち淨華院敬法上人に師事して
J20_0385B24: 淨業を受く。又南北に周遊して諸敎を學ひ。特に意
J20_0385B25: を戒律に用ゐ運空忠惠の二師に隨ひて圓戒並に灌頂
J20_0385B26: を相傳し。終に當山第九世に補せらる。應永五年二
J20_0385B27: 月淨華院を相續して兩山を兼ぬ。曾て 後小松天皇
J20_0385B28: に圓戒を授けたてまつり阿彌陀經を奏説す。應永十
J20_0385B29: 五年江州坂本に法藏院を剏め。又栗本郡灰墳に安養
J20_0385B30: 院を興す。天台の隆堯良俊の徒來りて其化を助く。
J20_0385B31: 應永二十二年十一月廿四日寂す。壽七十二上人の寂年異説多し、
J20_0385B32: 今は萬里小路時房公の「建内記」に據る
J20_0385B33: ○第十世佛立惠照國師
J20_0385B34: 等凞僧任と號す。俗姓詳ならず。應永六年十才にし

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